2021年1月 1日 (金)

謹賀新年2021

2021

  
早く自由にダムを見に行ける状況になることを望むばかり。
  

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2020年7月18日 (土)

池原ダム(再訪)

七色ダムから池原ダムへは決して遠くない距離である。同じ川にあって互いの水のやり取りで揚水発電を行っているのだから遠いわけはないのだ。川沿いのR169をトレースせず、ショートカットするルートを使えば10数キロの距離しかない。

その予定で車を走らせていたのだが、途中ショートカット後のR169のトンネルが工事で全面通行止めになっており、図らずも遠回りをする羽目になってしまった。いつもの表現をすると、正規ルートが四角形の1辺だとすると他の3辺を回らされるイメージだ。そのルートには日本三大酷道のR425も含まれており、できれば酷道なんか走りたくない派のワタシにとっては不本意であった。

その動画がこちら。

 


で、池原ダムである。

ここもタイトルには『再訪』としたが何度も行ったダムである。おそらく堤体100m超の大ダムでは最も行った回数が多い。堤体が国道169号からでかでかと見えるので傍を通っただけでも行った感が強い。

堤高111m、堤頂長460m、貯水容量全国7位と、すべての面で紀伊半島最大のダムである。何度来ても「やっぱでっかいなあ」という感想を持つ。今回も同じだ。

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でっかいアーチダムといえばやはり黒部、奈川渡、温井といった150m超の巨大アーチダム(これらがトップ3)が思い浮かぶが、これらより数十メートル低いのに、でっかい感では決して引けを取っていないように感じる(温井は行ったことないけど)。素人の想像だが、堤体が分厚いからだろうか。
 

あと、前の記事にも書いたかもしれないが、ここは堤体と洪水吐の位置関係がダム湖を挟んでほぼ背中合わせに対峙しており、どちらの天端にもR425が通っているので、アーチダムでは非常に珍しく提体をほぼ真裏から見ることができる。ダム湖の水位が高く天端の少し下までしか見えていなかったが、結構レアな風景だと思う。

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あと、R425をさらに奥へと進めば坂本ダムがある。やはり100m超の大アーチだが、しょっちゅうR425が通れなくなるためまぼろしのダム的な存在になりつつある。ワタシも子供のころ1度だけ行った記憶があるだけだ。

今年1月は上流側が工事で通行止めだったが、今回は下流側が災害で通行止めになっていた。あまりに山奥過ぎて周辺に人家が皆無なため復旧工事が急がれないんだろうなあ。

たとえ通れたとしても全区間が酷道中の酷道R425なので、たどり着くにはかなり気合いと精神力が必要である。
 

ということで、今回の紀伊半島2基巡りは終了。R169、R309を経て尾鷲へ出、紀勢自動車道へのればあとは埼玉までずっと高速である。日が変わったころ埼玉着。

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2020年7月11日 (土)

七色ダム(再訪)

県境を越えた移動の制限がなくなったので6月の下旬にまた紀伊半島へ。まだ感染者のいる地域からいない地域への来訪のうえ天気もあまり良くなかったことから、あまり出歩かずじっとしていたのだが、埼玉への帰路の途中に2か所ほど近場のダムに車載動画の撮影を兼ねて寄っていくことにした。

目指すは熊野川水系北山川にある電源開発の発電専用ダム、ダム愛好家にとってはメジャーな2基である。まずは下流にある七色ダムに向かって車を走らせる。

三重県熊野市で国道42号(R42)から309号(R309)、そして169号(R169)と辿る。数字の大きさからするとR309が最も格下かと思ってしまうが、実はR169が酷道なのであった。正確に言うと、R169の殆どの区間は快走路なのだが、このR309から七色ダムまでの区間だけが酷道なのだ。(ちなみに、R309はもっと北のほうで山岳酷道になる)

ということで車載動画。

 


この記事のタイトルには(再訪)と付けたが、例によって「再」訪ではなく七色ダムへ来たのは3回目。すべて同じ酷道ルートを通っているが、来るたびに走りづらさが増すような気がするのはやはりドライバーの経年劣化によるものだろうか。

ここも前記事の二瀬と同じ重力式アーチダム、やはり他にはない外見をしている。数多あるダムのうち、写真を一瞬見ただけでどこのダムか確信を持てるダムはさほど多くない(と思う)が、ここはそのうちのひとつである。普通なら、写真を見て「えーと重力式でこのゲート配置と風景だから○○ダムだな」と少し考えてから特定に至るところ、ここの場合、見た瞬間「はいっ七色ダム!」と即答できてしまう。


ダムサイトの左岸周辺には公園様の広場があって案内板こそあるものの他には何もない。電源開発のダムは電力会社の中では比較的展示施設が充実しているところが多い印象だが、ここは本当に何もない。トイレくらいあってほしかったなあ。

もっとも、(建設当時)酷道しか通じていない山奥に造られたダムにどんだけ人が見に来るんだよということだとは思うが。
 

竣工は1965年、古いダムにありがちな天端道路の狭さで普通車同士のすれ違いは難しいっぽいうえ、このダムの場合、堤体いっぱいにずらりと並んだゲートの支柱が天端道路の上流側(アーチの内側)に大きく張り出しているため、実質ブラインドカーブになっている。アプローチ路だけでなく天端もまた大変走りにくいのであった。

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さて次はこのダムの兄貴分(姉貴でも可)というだけでなく、紀伊半島のダムの首領ともいうべき大ダムへ向かう。

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2020年2月 8日 (土)

奥里ダム

風屋ダムから、その取水ダムであるところの奥里ダムを目指す。奥里ダムのある滝川は風屋ダムの少し下流で本流の十津川に合流する。つまり自然のままだと風屋貯水池には絶対貯まらない水を導水しているのであった。

ダムへのルートも同じようにR168を下流側へと少し走ったところで分かれる十津川村道(たぶん)で滝川を上流へ辿っていく。このダムを所有する電源開発のHPのこのダムの解説ページには『ダムへのアクセス道路は非常に狭い道路のため、通行にはご注意願います。』と書かれていて、実際に走ってみても確かに狭い道ではあるんだけれども、路面の状態は悪くないしガードレールも殆どの箇所に備えられていていわゆる『未整備』の道ではなかった。ダムの少し手前に集落があってそこまで村営のバスが走っているようなので、きちんと管理はされているのだろう。
 

そんな道を5kmほど走ると奥里ダムが道路端に姿を現した。ネットでその画像は何度も見ていたのに思わずおーっと声を上げてしまった。あまり他では見たことのないルックスだったからである。カッコいいダムはいくつも見たが、『美しい』と形容したいダムは初めてかも。何もない山奥で容姿端麗の美女(超イケメンでも可)に出会った気分だ。

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堤高20.5m、堤頂長81.3mの、道路の高さからも見下ろす程度の小規模なダムだが、堤体の中央部分が越流のために大きく切り取られていてスペックよりもさらに小さく見える。少なくとも堤高は天端の両側の高さだろう。堤高が13m以上あるためダムに分類されているが、規模や用途からするとダムというより取水堰と呼んだ方がしっくりくる気がする。例えば昔記事にした堤高8mの和知野ダムの方がよほどダムらしい見た目をしていると思う。

ただ、普通の取水堰と異なるのは堤体がアーチ状のカーブを描くアーチ式であることだ。アーチ式の発電用ダムというと大規模なものをイメージしてしまうが、ここはその固定概念を覆す小ささである。

そして堤体を越流する水が滝のように流れ落ちている。発電の役割を担うれっきとした社会インフラでありながら、池庭を構成する1アイテムのような雅な趣を感じる。他のダム、少なくともワタシが今まで見た中にはない唯一の存在だと思う。そりゃ声も出ますよ。
 

竣工は1960年だから導水先である風屋ダムとセットで造られたということである。導水用の取水口は左岸の端(川の蛇行のカーブの外側=水が貯まりやすい側)に設けられていてぶっちゃけアーチである必然性はない気がするが、当時はコンクリートが高価なためなるべく使用量を少なく造るのがトレンドだったそうなので、取水堰にもその考え方を取り入れたのだろうか。メインの風屋ダムが100m超の重力式という当時としては贅沢な(?)型式だったわけだし。でもまあ、アーチだったからこそこの『奇跡の容姿』(少し大げさ)が生まれたんだろうし、あまり突っ込むのはやめておこう。
 

なお、つい最近(2019年12月から)ここのダムカードの配布が始まった。電源開発の英断を称えたいと思う。配布場所は風屋ダムと同じである。

ということで、車載&放流動画を作ってみた。

 

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2020年2月 5日 (水)

風屋ダム

旭ダムからR168へ戻り南下するとほどなく十津川の谷はダム湖に変わり、R168はその左岸側をトレースするワインディングになる。センターラインこそあるが今の目で見れば少し狭くてカーブもきつめなのであまりペースを上げて走れない。

ダム湖の名前は『風屋貯水池』。そのまんまだが質実剛健なネーミングである。

そんな道を10km近く走るとそこそこの規模の集落に入った。集落名は風屋、家並を抜けたところが風屋ダムの入り口である。
 

風屋ダムは堤高101m、堤頂長329.5m、電源開発所有の発電専用の大ダムである。型式はオーソドックスなコンクリート重力式なのだが、少し意外なことにいくつものダムが連なる新宮川水系では重力式は少数派なのだ。アーチ式が池原、坂本、二津野、旭、奥里の5基、重力式アーチの七色も含めアーチ式がこの水系では最大勢力となっている。重力式はここと小森、猿谷の3基だけでその中で唯一の100m超えと、この地域にあっては重力式の大ダムはレアな存在なのである。紀伊半島全体で見ても大滝ダムが2012年に竣工するまでは唯一の存在であった。ちなみに大滝ダムは堤高100mちょうどなので今でも紀伊半島で最も高い重力式ダムの座はキープしている。
 

竣工は1960年とちょうど60年前。黒ずんだコンクリートの色や大きな4門の機械式ゲートと堤体下まで続くごつい導流壁、そして天端の上に突き出たゲートの支柱が、いかにも高度成長の端緒期の香りを感じさせる。派手さはないが正統派で堅実なベテランといったところだ。ダムサイトには堤体下流側を前側から見られる場所はないが、少し遠めながら下流のR168の橋から見ることができる。

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デザイン的にはやはり電源開発が時期的には少し前(1956年竣工)だが同じ時代に建設した佐久間ダムに似ているような気がする。堤高が2/3くらいなので佐久間Brothersの弟といったところだろうか。が、佐久間よりも若いのにこっちの方がコンクリートの色が黒ずんでいるのは、旭ダムの記事でも書いた通り紀伊半島の環境面での厳しさゆえなんだろうと思う。
   

ところでワタシの個人の感想なのだが、『風の又三郎』(宮沢賢治)、『風に吹かれて』(ボブ・ディラン)、『風待港』(北前船)、『風来坊』(ふきのとう)、『風間トオル』(宇佐美さん)などなど『風』の字が入った名前やフレーズはなんとなくカッコいいように思う。なのでこのダムもワタシの中ではカッコいい名前のダムランキングの上位に入っている。なお、このダムの名前は風間トオル的に『かざや』と読んでしまいがちであるが、そうじゃなくて『かぜや』である。ローマ字で書くと『KAZEYA』とこれも結構カッコいいと思うのだが、ダムを設計した人もそう思ったらしくて堤体の高欄にローマ字のネームプレートがはめ込まれている。ネームプレート自体はどこのダムでも見かけるがローマ字のは珍しいのではないだろうか。

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ダムカードの配布場所は、ダム便覧には電源開発十津川第一発電所(ダムから13km)しか記載されていないが実際は第二発電所(ダムから44km)でも配布している。さらに最近、道の駅十津川郷(ダムから10km)が配布場所に加わった。いずれにしてもダムとは離れたところばっかなので注意。
 

さて次は風屋ダム湖への取水堰の役割を担う小さなダムへと向かってまた山を分け入る。

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2020年2月 1日 (土)

旭ダム(奈良)

クチスボダムへ行った翌日、今度は奈良県十津川村へダムを見に行った。十津川村は日本一面積の広い村で、某鉄道ミステリーの主人公の名前の由来だったり北海道の某ミスターのルーツの場所であったりと何かとエピソードが多い。全国の村の中では結構知名度が高いほうではないだろうか。ちなみに、ミステリーの主人公は『とつがわ』と濁るが村の方は『とつかわ』と濁らない。北海道にある新十津川町はここから開拓に行った人たちが興した街である。以上役に立たない豆知識終わり。
 

十津川村を南北に貫く国道168号(R168)は100番台国道としては比較的整備の遅れた酷道で、近年まで川沿いの狭い谷を延々と狭隘路が続いていた。しかしさすがに最近は山中をトンネルと橋で貫く区間が増えかつての酷道っぷりは影を潜めている。最初に目指したのは、そんなR168から十津川村北端に近い支流の谷を遡ったところにある旭ダムである。

以前記事に書いた同名の旭ダムが福島にあるのでタイトルには(奈良)と付けている。雨が多く険しい山も多い紀伊半島は水力発電の適地で、特にこのダムがある新宮川水系は電源開発の発電専用ダムがいくつも連なっている。紀伊半島を代表する大アーチ池原もこの水系だ。

このダムもやはり発電専用だが所有者は関西電力である。さらに高地に設けられた瀬戸ダムとの間で揚水発電が行われており、このダムの貯水池は下池にあたる。このダムより3kmほど奥に奥吉野発電所があるが、残念ながら瀬戸ダムは一般人立入禁止となっているためそれより奥(上)には行くことができない。
 

支流の谷にはダムまでの間に1か所だけ数軒の集落があるがそれ以外は何もない山奥で、その先に揚水発電という巨大なシステムインフラが存在するとは思えない。行った日は平日だったのだが、関西電力およびその関連と思われる業者の車と何台もすれ違ったしダムサイトにも停まっていた。つまり、目に見える風景からイメージするよりも人の営みが活発に行われているのだった。もしダムの用途が洪水調整だけだったらそうじゃなかっただろうなあ。

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型式はアーチ式でスペックは堤高86.1m、堤頂長199.4m。堤体はかなり思いっきりアーチしており、左右のみならず上下にも結構きつくカーブを描いている。天端は大きく下流側へオーバーハングしていてそのせいなのかどうかわからないが、下流面はコンクリートが黒く変色している箇所と白いままの箇所のコントラストがはっきりしている。人呼んで白黒アーチ。そういえば新潟の奥三面ダムがこんな感じだった。場所や目的は違うが、同じアーチダムで向こうは日本で有数の豪雪地帯、ここは有数の多雨地帯と環境面での厳しさが似たような老け方をさせるのだろうと想像する。

天端は関係者立入禁止。道路は左岸にしかないため一般人が右岸に渡る術はない。瀬戸ダムへのルートが右岸側にあるためだろうか。ただ左岸にある管理所の敷地には特に立ち入り制限はないため、管理所の裏の下流側斜め前から堤体を捉えることができる。谷が狭く深いためワタシのカメラの画角ではギリギリだったが、何とか河川維持放流と思われるバルブからの放水を捉えることができた。このバルブにも種類によっていろいろ名前が付いているのだが、そういう知識はあまりないのでどういう種類なのかはよくわからない。『穴から噴き出す方式』とでも書いておく。
 

ここはダムカード配布ダムで配布場所は奥吉野発電所である。旭ダムの他に瀬戸ダムのダムカードももらうことができる。瀬戸ダムは実物を見ずにカードだけ受け取ることになるので、『見てないのにカードだけもらうのはNG』という厳しい戒律を自らに課している収集家には悩ましいところである。ワタシは全然そのへんは適当なので喜んでもらったのだが。

ということで車載&放流動画。

 


支流の谷からR168に戻り次に目指すのは、10kmあまり下流にある電源開発の大ダムだ。

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2020年1月 4日 (土)

二津野ダム(車載動画)

去年撮って放置していた二津野ダムへの車載動画を編集してアップしてみた。

 

2020年最初の動画。

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2019年8月17日 (土)

永源寺ダム

蔵王ダムからR477を北上、滋賀県道何本かを経て東近江市(旧永源寺町)で国道421号(R421)へ入る。さすがに飛び出し坊や発祥の地だけあって、沿道には何人もの飛び出し坊やを見た。やはり元祖の久田工芸の物が秀逸である(飛び出し坊やについて知りたい人は各自ググってくだされ)。

旧永源寺町の中心街を過ぎたあたりからは、扇状地の扇頂に向かって川の左岸をぐいぐいと登っていく。谷も徐々に狭まってきて、いかにもこの先にダムがありますよという典型的な風景になってきた。

街の名の由来になった永源寺という寺への入り口を過ぎると、谷はさらに狭まり勾配も一段急になった。ダム愛好家ならわかると思うが、ダムに近づいている気配がどんどん増してきてなんだかワクワクしてきた。

そしてR421が完全に左岸の山肌にへばり付きながら急坂を登り切ったあたりで永源寺ダムに着いた。天端横にはごく狭いスペースしかないが、幸いなことに1台も車が停まっていなかったのでそこに車を入れる。
 

所在地は前述の通り東近江市(旧永源寺町)、型式は重力式とロックフィルの複合式、いわゆるコンバインダムである。複合式ではあるが、ロックフィル部分は言われないと気付かないくらい小さくぱっと見はコンクリート重力式ダムだ。谷のほとんどの部分をコンクリートでカバーしたものの、右岸側にちょっと高さの足りないところがあるのでロックフィルでカバーしましたという風情である。実際は緻密な計算やシミュレーションによってその部分のみロックフィルにすると判断したのだろうとは思うが、素人的な表現をするとそうなる。

谷が深く狭いので堤高73.5m、提頂長392mのスペック以上に大きく見える。もっとも天端は両岸が緩やかに曲がっているため、谷の幅よりも長いと思われる。
 

右岸へ渡ってロックフィル部分を観察する。天端上は重力式部分からコンクリートでつながっているので歩いている分には境目がわかりにくいが、堤体を斜め前から見てみると、重力式部分よりもロックフィル部分が少し高くなっておりつなぎ目のあたりの天端に勾配がついているのがよくわかった。万が一堤体越流した場合ロックフィルの方が決壊のリスクが高いため、コンクリート部分よりもロックフィルの方を高くするのだそうだ。

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右岸側にも道路が通じており、駐車スペース的にはこちらの方が豊富にあるのであえて右岸側を目指すのもありだ。撮影のアングルも左岸よりも右岸の方が豊富にある。唯一ダムカード配布場所となる管理事務所が、左岸の、それも天端からR421沿いを上流へ100m程度行ったところにあって少し遠いのが難点ではあるが。
 

傘を差してのんびり天端を左岸へと戻る。下流の谷の段丘上には集落の家々の屋根がちらほらと見える。永源寺の門前町なのだろうか。前述の『ダムの気配』を感じるアプローチを始め、緑濃い山中に佇む風情とか風景とか、全体的に『昭和のダム』感が漂っていて(竣工は1972年)雰囲気がすごくいい。うまく説明できないけど、ワタシにとってエモーショナルな部分に刺さるダムであった。
 

さてここからは再び三重県に戻ってかつて見物に行ったことがあるダムを再訪してみようと思う。R421を上流に向かい峠を越えれば三重県である。石榑峠(いしぐれとうげ)というその峠は、かつてその筋のマニアの間では超有名な酷道であった。峠の前後数キロが2トン車以上通行不能で、進入を拒むゲートとしてコンクリートの塊が2個(すき間2m弱)置かれていたのだ(と本で見た)。2011年3月(震災のすぐ後だ)にその下に全長4158mの石榑トンネルが開通したので今は楽に県境を越えることができる。酷道のままだったらさすがにワタシもここから三重県に戻ろうとは思わなかったな。

石榑峠の旧道への入り口を横目で見ながら石榑トンネルを抜け、あっという間に三重県に入る。国道306号(R306)との交差点を左折し北へ、三重用水の水がめを目指す。

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2019年8月14日 (水)

蔵王ダム(滋賀)

野洲川ダムから蔵王ダムまでは直線距離で約3km。隣のダムと言っていいと思う。しかし実は同じ川の上流下流というわけではなくまったく別の川に設けられているため、隣のダムへ行くには分水界、つまり峠を越えて7kmほど走る必要がある。R477は野洲川ダムを出た先ですぐカーブの多い峠道になり、そのサミットで甲賀市と日野町の市町境も越え、峠を下りたところに蔵王ダムのダム湖が広がっているという、距離の割にはいろいろと変化に富んだルートになっている。ダムには左岸上流からのアプローチだ。
 

やがて蔵王ダム管理事務所の標識が見え右折するとダム湖の畔にある駐車場に着く。駐車場は堤体や管理事務所の上流側かなり手前にあって、その先は一般車進入禁止。天端まで2~300mほど歩かなければならないがあいにく雨が降ってきた。

傘を差して天端左岸まで歩き対岸を眺めれば、思いのほか堤頂長も長かった(370m)。それでも風がないのを幸いに天端をゆっくりと歩く。ロックフィルの下流側のダム下には1段平坦な面を持っていて、そこは公園様に整備されているように見える。そしてその先にはR477が左岸側から右岸側へと下りながら横切っている。R477上から堤体真正面がばっちり拝めそうだ。後で見てみよう。

天端から見ると下流には割合平坦な地形が広がっていて、ダムが丘陵地帯の入り口に設けられているのがよくわかる。堤高56mの規模からするとダム湖はあまり大きくない。目的コードAの灌漑専用であるためか、付帯設備も比較的簡素に感じられる。滋賀県には意外にAのダムが多い。琵琶湖があるから水はたっぷりあるんじゃないのとかいう単純な話ではないらしい。
 

ところで、このダムのタイトルに(滋賀)と付けたのはもちろん同名のダムが存在するからで、それは誰もが予想する通り山形にある。というか蔵王と聞けば多くの人は山形・宮城にまたがる山の名前を思い浮かべると思う。でも、このダム名も所在地である日野町蔵王という地名(字名)に由来しているので、バッタもん呼ばわりされる筋合いの話ではない。単に地名が有名かどうかだけの問題なのである。
 

駐車場を出てR477をダム下へ向かう。さっき天端から見えたあたりには車を停められる場所がなかったので、手前の路肩が広くなっているところに車を停め雨の中R477を歩く。予想通り堤体真正面がばっちり見られたのだが、堤体が横に長すぎてカメラのフレームに全体がおさまらないのであった。ちょっと残念。

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あいにく雨が強くなってきたが、それにめげず次のダムへ向けて滋賀県東部の地方道をひた走る。

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2019年8月10日 (土)

野洲川ダム

安濃ダムを出て北へ。国道1号(R1)で鈴鹿峠を越えて滋賀県へ向かう。

鈴鹿峠は何年ぶり、いや、何十年ぶりだろうか。勾配のキツい難所ながら、上り下り別線の片側2車線なので難なくサミットに到達する。トンネルを抜けると滋賀県甲賀市だ。

ワタシ的には旧土山町の市街地から青土ダムを経由し野洲川ダムを目指すつもりだったのだが、ナビはそのかなり手前でR1からの右折を案内した。このままだと青土ダムはスルーである。経由地を指定しなかったワタシが悪いんだけど。でもまあ今回で数多ある滋賀県のダムをすべて回れるわけではないので、青土ダムは次に回しそのまま野洲川ダムを目指すことにした。

後で調べたらところ滋賀県道187号→507号→9号とすべて県道だったようだが、これらを走り継いでR1から約14km、かつて鈴鹿スカイラインという有料道路だった国道477号(R477)に突き当たる。そこにある集落の上に野洲川ダムはあった。R477沿いの駐車スペースに車を停める。
 

所在地は滋賀県甲賀市(旧土山町)、型式は重力式、読みは『やすがわ』である。サッカーの好きな人なら知ってるかもしれないあの野洲だ。自由越流式のゲートからはさらさらと放流していた。ちょっと前に放流を表す擬音をどばどばとかザーッとか書いたが、ここはさらさらだと思った。堤体前面を流れ落ちる水の他、ゲートの両端にある階段状の導流壁を流れる水が美しい。ここの放流はさほど珍しくはないようで、ようつべにも他のダム愛好家の方の動画が上がっている。

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コンクリートがまだ白く新しいので外見からは最近造られたダムかと思ってしまうのだが、実は竣工1951年とかなりのベテランである。2009年にほぼ作り替えに等しいほどの全面改修を受けたため外見上は新しく見えるようだ。

天端は立入禁止。とはいえ簡単なチェーンがかかっているだけだったので釣りの人(本格的な釣り人ではなく遊びみたいな感じ)が中に入っていたが。見下ろすと、ダムの直下には道路が通じていて堤体を下から見上げられそうだったので、行ってみることにした。
 

ダム下には洒落た外見の管理事務所(人はいないみたいだったが)が建っており駐車場も整備されていた。が、上流側を見上げても、間にある植生が邪魔で堤体の上半分しか見渡せない。ようつべで見た放流動画は堤体の直下まで近づいていたが、そのルートであるらしい道は橋の手前で背の高いゲートに閉ざされて入れなくなっていた。残念。

それから、管理所の入り口の貼り紙に書いてあったダムカード配布場所である『かもしか荘』に向かう。集落の外れにあるのだが、その施設内にオートキャンプ場やらパターゴルフ場があってどこが窓口だかわからず少し右往左往してしまった。農産物直売所のおばちゃんに聞いて日帰り入浴施設の受付に行き、やっとダムカードを入手したのであった。
 

あと、後日このダムについてネットで見てみたら、ダム下への道のゲートは獣除けで人は勝手に開けて入っても良かったらしい。そう言われてみれば天端には立入禁止と掲示されてたのにゲートには何も出ていなかった気がする。背が高かったのも獣対策だと思えば納得がいく。せっかく放流を近くで撮れるチャンスだったのになあ。まあ青土ダムとともに次の楽しみということで。

さて次はR477のわずか7kmほど先にある隣のダムに向かう。

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