東山ダムを見に行く動画
こういうご時世なので、というかもう1年以上このフレーズを使っているのにまるで状況が改善されず官民含めこの国のダメさ加減にほとほとやんなる今日この頃ではあるが、昔撮った動画を編集してうpしてみた。
画質もさることながら手ブレが酷く、同じFHDでもカメラによってかなり差が出ることがよくわかるのであった。
こういうご時世なので、というかもう1年以上このフレーズを使っているのにまるで状況が改善されず官民含めこの国のダメさ加減にほとほとやんなる今日この頃ではあるが、昔撮った動画を編集してうpしてみた。
画質もさることながら手ブレが酷く、同じFHDでもカメラによってかなり差が出ることがよくわかるのであった。
アベノマスク届く前に緊急事態宣言が解除されちゃったよ。
とはいってもまだまだ気楽にダムを見に行けるような状況じゃないと思うので、また昔撮ったのを編集してみた。
アベノマスクが届く日とダムを気楽に見に行ける日、どっちが先に来るんでしょうか。
一応愛好家歴だけは長いので、行ったけれど写真が残っていないダムというのがある。写真を撮っていないというのならそこは行かなかったのも同然で諦めもつくしもう一回行けばいいんじゃねと思うが、写真を撮ったにも関わらずそれがどっか行っちゃって見つからないというパターンはちょっと悔しい。
中でもひときわ残念なのが、青森県むつ市にある川内ダムである。所在自治体名からもわかる通り下北半島にあるダムで、かつ今のところ本州最北端のダムらしい。今のところ、というのはこれより北に計画されているダムがあるからなのだが、補助金が止まって事実上凍結されたようなので、このダムがずっとタイトルホルダーであり続けると思われる。
行ったのは2006年のGWことだからさほど大昔の話ではない。さすがにもうフィルムカメラの時代ではなくなっていたため撮ったのはデジカメである。ただ、写真と違って場所を取らない代わりいったんどっか行っちゃうと探すのが大変なのであった。その後何台かパソコンを入れ替えているので残念ながらたぶんもう出てこないだろう。
ということで、このブログ初の写真のないダム記事だが、ダム自体は重力式の正統的スタイルである。竣工が1994年と比較的若いダムなので可動式のゲートはなく自由越流式、堤体中央に河川維持放流用のバルブがひとつ付いている。(その姿はダム便覧にて)
下北半島といえばよく斧の形に例えられるが、斧の刃のど真ん中あたりの山の中に位置しておりダムサイトはちょっとした渓谷である。そして、ダムから上流に行くにしたがって海との距離が縮まるという珍しい特徴を持つ。このダムが堰き止めている川内川は、斧の刃の中西部の高地に源を発し東向きに流れていったん海岸線から遠ざかる。そしてダムから少し下流の最奥の中央部あたりから南に向きを変えて斧の刃の南の真ん中あたりで陸奥湾に注ぐという流れ方をしているからである。
四万十川の源流が海岸からわずか数キロのところにあるのは割と有名だが、川内川もミニ四万十的な流れ方をしているのであった。
2006年の時点ではむつ市街地からダム湖が尽きるあたりまで片側2車線の快走路が整備されていた。なので車で行くには特に問題なくたどり着けると思う。が、関東以西から行く場合の最大のハードルは距離だ。青森市や八戸市まででも遠いのに、そこから下北半島の最奥部までさらに走らねばならない。半島付け根にある野辺地町からむつ市までは約60km、ダムまではさらに40km、青森市からでも一日仕事である。
そういう遥か遠い地のダムの写真を失ってしまったのはちょっと悔しい。さすがに気楽に行けないもんなあ。
横川ダムは山形県小国町にある重力式ダムである。同じ字を書くダムが全国に3基あるためタイトルに(山形)と付けている。読みは『よこかわ』。川の字の読みが濁る濁らないがあるので『同じ字を書く』という表現をしたのだが、調べたら3基とも読みまで同じで濁らないのであった。
3基のうちでは最も新しいダムで竣工は2007年。実際に見てみてもいろんな部分で新しさを感じる若いダムであった。
まずその外見であるが、堤高72.5m、堤頂長277mのコンクリート重力式とスペック上はオーソドックスな中規模ダムながら、一見堤体いっぱいに自由越流式のゲートが並びその上に天端となる橋を載せた軽快かつモダンなルックスである。ワタシは勝手に平成スタイルと呼んでいるが、ぱっと見メカニカルな香りを感じさせないスマートさはやはり新しいと思う。行った2018年11月の時点ではコンクリートがまだ白くその点でも爽やかさが際立っていた。
なおゲートについて『一見』と書いたのは、実は中央部に機械式のゲートを備えているからである。ローラー式のスライドゲートとかいうやつで、機械部分が天端上にも堤体前面にも張り出さないので下流側から見るとその存在がわかりにくく、ワタシのような慌て者は自由越流式だと思ってしまうのであった。
その他にも新しさを感じる点としては、国交省管轄の多目的ダムでは珍しくないもののダムサイトに併設された展示施設も地域に開かれたダムを目指すという近年のトレンドの表れであろうし、その施設に『きてくろ館』という名前が付いているのもその一環として親しみやすさを狙ったのだろう。屋上は展望台として開放されており、堤体斜め後ろやダム湖が眺望できる。
一般公募で選ばれたダム湖の名前は『白い森おぐに湖』という。これもまた今風のDQNキラキラ系ネーミングである。
所在地の小国町は、山形県に属するものの新潟県側の水系(荒川)にあって県内の他の自治体とは峠で隔てられている。このダムが国交省の北陸地方整備局管轄なのはそのためだ(国交省では新潟は北陸管轄)。新潟と山形を距離的には最短で結ぶ国道113号(R113)やJR米坂線の沿線にあってそれなりに往来は多いと思うが、高規格道路の整備は遅れているし鉄道に至っては優等列車が走らない非電化のローカル単線となっている。急行べにばなのキハ58に乗って新潟から米沢へ抜けたのも今は昔。
ダムはR113から2kmほど入ったところに位置しておりアクセスは悪くない。R113から分岐する道路は右岸側ダムサイトを経て白い森おぐに湖へ通じるが、R113から曲がったすぐのところでさらに左岸への道路が分岐しており、そこを進むと堤体をほぼ正面からのぞめる川べりへ行くことができる(車を停めて歩く)。
河川維持放流が行われているのだろう、川にはさらさらと程よく水が流れていてその後ろに控えるダムの堤体もなかなか風情がある。一般受けしそうな『ダムのある風景』のひとつだと思う。
ベテランにはベテランの、若手には若手の良さがある。それはダムの世界でも同じである。
鳴子ダムは宮城県大崎市(旧鳴子町)にあるアーチ式ダムである。鳴子といえば温泉やこけしで有名な全国的によく知られた観光地だが、そんな土地にあるダムも実は愛好家の間ではかなり有名なのである。宮城県の代表的なダムを3基挙げる場合には必ず入ると思う。人によっては東北の代表的なダム10基にも入るかもしれない。
その最大の理由は、このダムが国内の技術のみで造られた初めてのアーチダムだからである。
ワタシは土木技術のことにあまり詳しくはないのだが、木や土から鉄やコンクリートに変わる過程で西洋から多くのノウハウが入ってきたことくらいは知っている。そういう観点から、『初の純国産』というのがエポックメイキングな特徴なのは理解できる。車でいうとルノー4CVからコンテッサになった時のようなものだ。鳴子ダムはダム界のコンテッサなのである(マニア以外にはわかりにくい)。
堤高は94.5mもあって大規模と言っていい大きさなのだが、どちらかといえば大きさから来る威圧感よりも外見上に漂う優美さが勝る。アーチダムというと堤頂が下流側にもオーバーハングして3次元曲線を描くドーム型のものが多い中、ここはいわばプレーンなアーチで、まっすぐに切り立ったままカーブを描く堤体が特徴である。中央寄りに広く並んだ自由越流式のゲートと相まって、他には見ない優しげな外観となっている。何となく陶器のような質感さえ感じる。角の取れた造形は昔のレトロ系建造物の香りがするなと思っていたら、竣工年1958年(昭和33年)と昭和レトロのど真ん中だった。
毎年GWには全ゲートから雪解け水を流す試験放流が実施されその名も『すだれ放流』、これも愛好家によく知られる理由のひとつである。ワタシが行ったのはGW少し前の4月下旬だったので実際には見ていないが、ネットでの画像を見る限り堤体前に鯉のぼりなんかも飾られなかなか風流にして華麗。前段でのコンテッサ(=伯爵夫人)というのはいささかエキセントリックな準えではあるが、本来の意味からはその形容がまったく的外れなわけでもない気がする。
このダムは、宮城、秋田の県境を越える唯一の国道であるところの108号(R108)の沿道、正確にはR108の旧道沿いにある。R108旧道は堤体の左岸の一段上を通っており、下流寄り数百メートル手前で堤体への入り口が分かれ駐車場もある。堤体までは少し歩くがそのまま天端へとつながっていて右岸まで歩くことができる。
そこからは当然堤体をカメラで捉えることができるが、手前からは樹木が邪魔だし遮るものがなくなった場所からは近すぎて全体が入らないと案外微妙な感じ。むしろR108旧道を堤体横まで移動し少し上から見下ろす方がアングル的には良い気がした。ただ、なぜか堤体真横あたりだけ狭いので車に注意。
またダム管理所もその近くのR108旧道沿いにあってダムカードの配布場所になっている。正面玄関横の図書室的な部屋が展示室として開放されているが、入り口が窓際を回り込んだ位置にあって靴を脱いで入るタイプなので少し戸惑ってしまった。学校とかに忍びこむような感覚だ。
ちなみに鳴子の読みは『なるこ』と濁らない。頭ではわかっててもワタシはついつい『なるご』と発音してしまうのだがそれは間違いである。
2018年4月見物。
蔵王ダムから山形市街へ戻りR13を南下する。昨日下道で通過した上山インターから今度は東北中央自動車道にのり米沢へ。米沢からはR121に入り会津若松を目指す。
米沢、会津とも結構な規模の盆地だが、道路上にある気温表示がいずれも今回の旅では最高の37℃を示した。どっちも冬には豪雪が降る地域なのだがやっぱ盆地は暑い。
会津若松へ来たのは2年前の7月に来て『下ノ畑ニ居リマス』となった東山ダムのダムカードをもらうためだ。ここはそれ以外にも配布日が平日のみというハードルの高い条件があるのだが、蔵王ダムの記事にも書いた通り今日は平日だ。
お盆休みのせいか車が多い会津若松の市街地を抜け、東山温泉への道に入る。温泉街は山に挟まれた谷底にあるが東山ダムはさらにその先にあるため、ナビは北側の山の斜面を伝って温泉街の先へ通じる道を案内した。いかにも裏道風の道路だが前回と同じルートだから迷わず進む。
再び谷底へ下り最後のホテルを過ぎると、建物がなくなりいかにもこの先ダムがあるよ的な登り勾配になる。そこを登り切ったところにあるトンネルを抜けるとそこが東山ダム堤体の右岸で、ダム湖と道路の狭い隙間に管理事務所が建っていた。
事務所の入り口に行ってみると、前回は『下ノ畑ニ居リマス』と表示されていたが、今回は何もない。ピンポンを押してから職員の方の応答があるまで若干の間があったのだが、それが何時間にも感じられた(大げさ)。ということで無事東山ダムのダムカードをゲットすることができたのだった。
そういえばあの時もやたら暑い日だった・・・。
米沢からここまで辿ってきたR121はこの先さらに南下し県境を越えて栃木県の日光市まで続いている。山道ではあるが全線2車線以上の整備済みなので下道で帰るにはここをトレースするのが得策だろう。栃木県に入り鬼怒川温泉の手前まで来たら突如の大雨。栃木の夕立の激しさは関東では有名だがそれを実感する。今市の市街地まで来たらもう晴れてるし。
日光市街地の混雑を日光宇都宮道路(下り)で回避し、今度はいろは坂の麓で分かれるR122で群馬へ抜ける。足尾、渡良瀬渓谷と通って大間々から伊勢崎へ、R17へ出て利根川を渡って埼玉へ。自宅へ帰着したのは20時過ぎだった。ひさびさの下道300km越えイッキ走りだったが楽しかった。
次はどこへ行こう。
次の目的地の蔵王ダムは山形市にある。今いる長井市から昨夜安全運転で疾走したR348を昨日とは逆方向へ走る。R348は西置賜地域から県都山形市へのメインルートなので交通量は多いが整備状況は完璧なので走りやすい。
ここで数少ないこのブログの熱心な読者様ならば、昨日白水川ダムから生居川ダムへ向かう途中に山形市を縦断していることに気づいたかもしれない。そう実は、次に行く蔵王ダムは昨日の見物ルートの途中(から少し入ったとこ)にあるのだった。それなのになぜわざわざ今日行くのか。それはひとえにダムカードのためなのであった。
昨日は山の日、暦上の祝日だったのだが、蔵王ダムのダムカードは土日祝日には配布されない。そのためルート的に効率が悪いのを承知の上で、平日である今日行くことにしたのだ。同じ山形県営の荒沢ダムが結構な山奥にもかかわらず土日祝日にも配布しているのに(だから昨日行った)、山形市域にある蔵王ダムがどうして配布をしていないのかわからないが、決まりは決まり、何か事情があるのだろう。文句を言ってもしょうがない。何度も書くが、先方は仕事こっちは道楽だ。
山形の市街地で人、車ともに燃料を入れ文字通り蔵王の山麓にある目的地を目指す。県庁前の堂々3車線道路から片側1車線のローカル国道、センターラインのない県道と徐々に格落ちしていき、家並みが途切れてからは4kmほどまったく人家のない林道(管轄的には県道)を走って蔵王ダムに着いた。ダムから奥に道はない。山中に佇むポツンと一軒家ならぬポツンと1基ダムだった。その道中は以下の動画をご参照あれ。
で、蔵王ダムなのだが前記事で先述の通り中空重力式コンクリートという比較的珍しい型式である。この型式の普通の重力式と違う見た目上の特徴は、堤体下流側に複雑な曲面がなく天端までの傾斜がストレートに立ち上がっていること、堤体上流(ダム湖)側面が平らではなく、縦のスリットがいくつも入っていること等が挙げられる。しかし大変残念なことに天端は立入禁止、上流側は木々が生い茂り下流側も管理事務所の建屋の隙間から辛うじて斜め横がピンポイントで見える程度で、ビューポイントが少なくその特徴をイマイチ捉えづらいのであった。
実はワタシはここまで中空重力式ダムとの相性が悪く、もともと天端を開放していない高根第二はともかく、去年行った内之倉は改修工事で天端が立入禁止だったし、前記事の木地山など辿り着くことすらできず、30年前に行った井川の天端を歩いたかどうか覚えていないため、ワタシには中空重力式ダムの天端を歩いた記憶がないのである。ここは来れただけ木地山よりはマシだがやはり天端を歩くことは叶わないのであった。
ダムカードをもらいに管理事務所へ行くと、職員の方いわく『さっきからダムカード希望の人が立て続けに来た』とのこと。確かにワタシがダムサイトに着いた時にも愛好家と思われる車が2台(自分除く)、バイクが1台停まっていた。ワタシの後にも1台来たので、数キロにわたって人家もない山の中とは思えないくらいダムサイトは賑やかだった。
ところで、やはり数少ないこのブログの熱心な読者様ならば気が付いたと思うのだが、この記事のタイトルに(山形)と付けているのは先日記事に書いた滋賀の蔵王ダムがあるからだ。今回の見物行の行き先を山形に決めるにあたりまったく意識はしていなかったのだが、結果としてわずか1か月の間に700kmも離れた場所にある同名のダム両方に行くことが出来たのだった。
これで今回のダム見物は終了。あとは埼玉に帰るだけである。まだお昼過ぎだがたぶん道が混んでるので早めに切り上げる。帰りも当然高速の渋滞が予想されるので下道で帰ろうと思う。
ただ、どうせ下道で帰るのなら一か所どうしても寄りたい場所がある。
次に向かうのは長井ダム、名前の通り白鷹町の南隣の長井市にある。周辺は西置賜(にしおきたま)と呼ばれる米沢盆地の西北端の地域で、長井市はその中心地である。長井市街地から西に向かうとどーんと朝日山地に連なる山塊が立ちはだかる。そこから置賜野川という川の谷を県道252号(r252)で遡るとほんの4kmほどで長井ダムが見えてくる。
型式は重力式コンクリート、堤高125.5mと東北地方では2番めに高い(と最上川ダム統合管理事務所のHPには書いてあるが福島の田子倉、奥只見の二大巨頭は入ってないっぽい)。
竣工は2010年と割と最近で、巨大ダムと言っていいほどのサイズながら非常にすっきりとした端正なルックスを持つ。 管轄が国交省なので展示施設等見物用アイテムも充実している。r252が下流側斜め前を走っており堤体全体をバッチリ捉えることもできる。r252も新しい2車線道路でこのダムを訪れるのに支障は皆無である。一言で言うと立派なダムである。
最大の特徴、というか見てもわからないので特徴といえるか微妙ではあるのだが、ここのダム湖には既設の管野ダムが沈んでいる。過去に記事にした胆沢ダムと同じパターンで、既設のダムの機能をさらにパワーアップさせるために改修ではなく造り替えが選択された。ダムの場合、撤去して同じ場所に再設置するよりも、下流に新しいダムを造って既設ダムを沈めるというのがポピュラーである。『老兵は死なず ただ消え去るのみ』を地で行くのがダムの世界だ。
なお、沈んだ管野ダムは堤高44.5mだったのでよほどダム湖が干上がらない限り見ることはできないようだ。
さて沈んだ管野ダムのほかに実はこの奥にはもうひとつダムが存在する。木地山ダムという発電用ダムで型式は比較的珍しい中空重力式コンクリート、それも同型式では最も堤高が低い(堤高46m)んだそうな。
このダムはアプローチが厳しいことでも愛好家の間では有名である。長井ダムまでの立派な道r252が一転険しい道となるらしい。道中の厳しさ故に八久和ダムへ行くことを諦めたワタシだが、ここは距離が10kmあまりなので何とか行けるかもしれない。意を決して長井ダムからさらに奥へ進むことにした。
長井ダム湖が尽きるあたりまでの3kmほどは広くはないがきちんと整備された道路が続く。『なんだ、意外に大丈夫じゃん』そう油断しかけたところで、いきなりr252は険道としての牙をむいた。
唐突に1車線幅に狭まり同時にガードレールがきれいさっぱりなくなる。そして見通しの悪い急カーブで山の斜面にへばりついて勾配を登っていく。反対側は崖、怖くて見れないがたぶん谷底までは数十メートルあると思われる。舗装こそされているが、高所恐怖症のワタシには断崖絶壁の舗装路(それもガードレールなし)より低い場所を走るダートの方が百倍マシだ。
来たことを後悔しかけたが、道幅が狭すぎてUターンする場所もなく戻ろうにも戻れない。いやーまいった。
そんな道を走ること約5km、何とか断崖路を抜け切り通しの道に入った。ほっとして前を見ると何か道路の真ん中に建っている。
マジかー。(こればっか)
なんと9月10日まで工事のため通行止め。地図を見る限り木地山ダムまであと4kmほどのところだった。やれやれ。いつもならばまた来ればいいと思うところであるが、正直なところこの道をもう一度走るのは嫌だと思った。悔しいので通行止めの標識と一緒に建っていた看板の通り、通行止めの標識を写真に撮ってダムカードをもらいに長井市内の県事務所に向かうことにした。
事務所に着いてダムカードがほしい旨を告げると、『あ、お電話いただいた方ですね』。ワタシは電話をしていないので、ワタシ以外にもあの険道の途中で玉砕した人がいたようだ。
ということで、険道っぷりはこの動画で確認できます。
気を取り直して次のダムへ向かう。木地山ダムの他に山形にもう1基ある中空重力式ダムだ。
今いる場所は上山市、有名な温泉地である。一瞬ここで風呂入っていけばいいんじゃねと考えたが、立ち寄り湯を探す時間が勿体ないしお盆休みの宿泊客でごった返す旅館に日帰り入浴できるか聞きに入るのも面倒だ。直前の作戦変更はリスクがさらに増すと判断し、計画通り白鷹町へ向かうことにした。
幸いなことにワタシのナビは、埼玉の道を信号で何度も停まることを前提に到着時間算出用の設定スピードを低めに設定してある。たぶん表示された時間は信号の多い道でその距離を走った場合のものだ。ここから白鷹町までは国道348号(R348)で峠を2つ越える必要があるが、地図を見る限りR348はそこそこ人口の多い長井市周辺と県都山形市を結ぶ幹線国道のようなので、整備状況は問題ないだろうし峠道だから信号も少ないだろう。交通の流れに乗って走ればたぶん間に合う、そう判断した。
上山市街を抜けると案の定山間部になり快走路のまま交通量、信号とも激減した。R348に入っても状況は変わらず車の流れはスムーズだ。峠道なのでオーバースピードに気を付けつつカーブをひとつひとつクリアしていく。先に進むにつれナビの到着予想時間が早まるのは良い傾向だ。
結局目的地には19時45分に着いた。念のため書いておくけれども安全運転で急いで走った結果(by 某車中泊Youtuber)である。
施設の名称は『パレス松風』、日帰り入浴も受け付けている宿泊施設で白鷹の街を見渡せる山の上にある。あたりはもう真っ暗だし山の上だから涼しいかと思いきや、車から降りると駐車場のアスファルトから放射熱がもわっと上がってきた。夜になってもまだ暑い。ここは埼玉か。
見る限り駐車場には木陰がなく、ほぼ終日太陽に晒されているからなのだろう。冷房の効いた建屋の中に入ってやっと人心地つく。大浴場からは白鷹町の夜景が見渡せた。絶景温泉であった。
風呂から出るともう入浴受付は閉まっていた。なんとかギリで間に合ったのはラッキーだった。駐車場の熱気も来た時よりはおさまっていたように感じる。
『パレス松風』を出て本日の宿泊地である道の駅に向かう。いや待てよ、その前にコンビニ行って明日の朝飯買っとかなきゃ。そう考えながら『パレス松風』からの下り坂を下りていたら突然ヘッドライトが何かを照らした。それが以前の記事に書いた通りイノシシの親子連れで、イノシシに車の前を横切られたのは2度目だ。動物の子供はイノシシですらかわいいのであった。
道の駅『白鷹ヤナ公園あゆ茶屋』はその名からもわかる通り川(最上川)の傍にあった。時刻は21時。暑さは多少マシにはなったが締め切った車内はまだまだ暑い。唯一の冷房器具であるポータブル扇風機を回しても温風をかき回すだけだ。仕方ないので両側のスライドドアを全開にしてみたら風が通って結構涼しかった。虫が入るのは覚悟の上だったが、意外なことにほとんど虫は来なかった。これはワタシの想像だが、ここまで暑いと虫が活発に動ける気温を越えていたんじゃないか。地球温暖化ヤバス。
タブレットで菅原文太とキンキンの爆走を見てやっぱり男の旅はひとり旅だよなあなどと呟いていたらいつの間にか眠っていた。
翌朝6時過ぎに目が覚めた。まだ早いのでそのまま寝続けようとするが、時間が経つにつれ車内はどんどん暑くなってきた。耐えられなくなって起きてドアを開けると、駐車場に影はなく朝っぱらから太陽が容赦なく照り付けている。今日も暑くなりそうだ。
昨夜買っておいたコンビニのサンドイッチで朝食を済ませ、身支度を整えて出発する。最初に向かったのは、道の駅から4kmほどの山形鉄道の終点である荒砥駅。35年前にここが国鉄長井線だった時に来たことがある。ちょうど起点の赤湯行きのディーゼルカーが出発していった。ワタシも懐かしの場所から次のダムに向けてスタートだ。
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